母校の120周年を祝う記念式典へ!
「ごふく美馬被害者友の会の皆様は和装で」と幹事たちからのお達し。

長崎まーちゃんから言われたらしゃーないww
もちろん「被害者」ではない方も含め、まぁまぁな和装率でした❤️


懐かしの母校は在校の頃からゆうたらすっかり姿が変わりました。
何しろ私は半世紀前、70周年の時の入学です。
小学6年生の私は受験でこの体育館に入った時に、
あまりの広さとあまりの天井の高さに目眩がしそうになったのを鮮明に覚えてます。
入学早々、70周年の記念行事がNHK交響楽団の演奏という企画にもぶったまげたものでした。

新しく建て替えられてもそのスケール感は当時のまんま。
けんど、さすがのバージョンアップ!!

歴史を振り返る懐かしい写真展も。
土佐女子名物(失礼!)木戸校長!!

スキンヘッドに大きな耳、いつもにこやかな笑みが印象に残ってます。
ゆ〜ったり、ふら〜りと校舎を歩かれていて、廊下と隔てる磨りガラスの向こうに姿が見えると、
教師とともに生徒も緊張したものでした。
1972年当時の先生方のお写真、まさしく入学当時。

かどばぁ、常ばぁ、徳じぃ、そして後に義父となるはたじぃ❣️
土佐女子では年配の先生方は親愛を込めて「じぃ」「ばぁ」と呼ぶ慣し。
そして同姓の場合には、浜幸、浜かず、と短縮系。
家庭科(礼儀作法も)の門田先生お二人を呼び分ける
「本門田」「ニュー門田」ww
クラスは担任の名前で◯◯ホーム。
中1甲藤ホーム
中2矢野ホーム
中3徳広ホーム
高1永吉ホーム
高2浜田(浜幸)ホーム
高3中平ホーム
だったはず、多分、きっと。
間違ってたら、先生ごめんなさい。
当時は一クラス64人、一学年に6〜7クラス、
中高合わせて2000人を超える乙女たちが集う学び舎の賑やかさが懐かしい。
ちょいとキュンとした久々の母校訪問。

次の式典でも懐かしい再会を味わいたいものだな〜。

クリックの応援もポチッといただければハッピーがプラス!
四国地方ランキング
◉土佐手拭い・手拭いマスク・アロハシャツ・一筆箋・絵はがき・
パッチワークコースター・パッチワークポーチ・ふるさとの台所など
お買い求めはこちらから→オンラインショップ「土佐旅福」
◉「ふるさとの台所」掲載料理レシピ配信中→「クックパッド」