2021年12月01日

王希奇(ワンシーチー)展 一九四六

まずはその大きさに圧倒されます。

3メートル×20メートルのキャンバスにモノクロで描かれた「何か」。

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近づくとそこには、終戦後満州に置き去りにされ、

命がけで帰還船までたどり着いた約500人の人・人・人・・・

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この絵を描いた王希奇(ワンシーチー)さんは、

骨壷を抱いた少年のように見える少女の写真との出会いがきっかけで

「満州引き上げ」の歴史的事実を知ったそうです。


終戦の直前まで、日本各地から満州開拓団が次々と送り込まれ、

高知県内からもかなりの方々が海を渡って広大な土地での暮らしを始めていました。


夫の姉は満州生まれです。

誕生直後に義父は出征(その後シベリア抑留ののち生きて帰国)

義姉が生まれて3ヶ月後に終戦。

乳飲み子を抱えて1年半にわたる壮絶で過酷で生き地獄のような、

「帰還の旅」が始まったのでした。


「ここに描かれているのは、お義母さんとお姉さんだね」

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夫はどんな思いで見つめたのでしょうか。



描かれた人々の表情はどれも暗く重く、

「これで日本に帰れる!」という希望はどこにも感じ取ることはできませんでした。

もはや喜ぶ力すら残っていなかったのでしょう。

実際、船に乗り込んでも日本に着く数日の間に力尽きて亡くなる人も多く、

次々と海に投げ捨てられたのだと。




帰還船が出航した葫蘆島港の暗く荒れる海の絵。

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船が着いた舞鶴の、やや明るく日が差す海の絵。 

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戦争の傷跡と、一言で語ってしまえないほどの悲劇。

目を背けるのは簡単ながやけど、

やっぱりその歴史的事実にちゃんと向き合うことを今の私らぁがしよらんと、

また繰り返されてしまうような気がしてなりません。



ぜひぜひ、直接この絵をご覧いただきたいです。

(遠く県外の方もはるばる足を運ばれているそうです)

かるぽーと7Fにて、12月5日までです。





鎮魂の気持ちを込めて書きました。


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posted by moco at 19:50| 高知 ☀| Comment(0) | 高知の出来事いろいろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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