出会いは30年前の小倉。
夫が手がけていた北九州市の事業に関連していらっしゃった「大学の先生」を、
ある日自宅に招いて手料理を振る舞うことになったのでした。
緊張してお出迎えしたのですが、「大学の先生」は実に気さくで朗らかで。
当時2歳の息子とそれこそネコがじゃれつく勢いで遊んでくださったことが懐かしい。
延藤安弘さん
2月8日膵臓がんで急逝されました。
ご遺族のご意向で葬儀は密葬で執り行われましたが、
5月12日、有志による実行委員会によって偲ぶ会が開催されました。
名古屋市の会場へ、夫と連れ立って行ってまいりました。
ステージには延藤さんの書斎をイメージした机と椅子。
その周りにみんなが献花として手にした花を植えて、
大好きだった「緑」で囲んでいくという素晴らしい演出でした。
林泰義さんの追悼メッセージ。
まちづくり界では「西の延藤、東の林」と称される二大重鎮がこのようなカタチで並ばれた。
参加者その数550人!
みんなで集合写真を撮りました。
1990年、高知市で「女のまちづくり講座」の講師としてお呼びしたのを皮切りに、
1992年には「高知のまちづくりを考える会」発足会、
その後の勉強会など、とにかく「ぎっちりびっしり」高知へ来て頂きました。
1994年5月には、もはや日本のまちづくりワークショップの歴史を語る上で伝説とも言われている
「わくわくワークショップ全国交流会in香北」(以下わくわく)を開催。
その場にも、もちろん延藤さんはいらっしゃいました。
あれから24年後、式場で微笑んでいた等身大パネル。
「わくわく」からご縁をつなぐ方々との再会は、
「まるで延藤さんからの贈り物だね」とみんなで喜び合いました。
嬉しすぎる林泰義さんとのツーショット。
林さんとヘンリー・サノフさんは「まちづくりゲーム」の著者です。
二人による贅沢な演習には、当時の橋本大二郎知事も参加してくれました。
伊藤さんと浅海さん、私のバイブル「参加のデザイン道具箱」を作った中心メンバーです。
浅海さんの隣は高知から駆けつけた石川くん(えこらぼ)。
24年前には伊藤・浅海コンビのファシリテーションに目を奪われたものでした。
望月南穂さん!!
「わくわく」では新聞ワークショップの編集長でした。
神戸市真野地区の宮西さん。
お隣は阪神大震災の避難所でダンボールの仕切りづくりと家具作りを指揮したトンプーさん。
あの頃まだネットもSNSも充分でない(ってゆうか殆ど無い)時代にもかかわらず、
前年の「わくわく」で築かれたネットワークが爆発的に生かされた、といっても過言ではないかと。
「わくわく」でご機嫌だった宮西さんの元に、全国のまちづくりびとが支援のため大集結したのでした。
「わくわく」がご縁の神戸市役所の西さん、
小林さん、
木下勇さん!
木下さんは「パクリムと延藤さん」と題して、海外での活躍ぶりを紹介されました。
あ、プログラムはこんな感じやったんです。
私たち夫婦も「赤岡と延藤さん」というテーマでご紹介させてもらいました。
実は会場のホールには延藤さんの活動が大きなパネルで紹介されよったのですが、
まー、赤岡のショットがどっさり!
20年前から赤岡のまちづくりに関わっていただき、一緒にまち育てをしていただいた。
改めて培った御縁の深さに感謝です。
最後に延藤さんからバトンを受け継いだ「まちの縁側育くみ隊」の名畑恵さんが、
ずっと見つめてきた師匠の姿を熱い思いでみんなに紹介してくれました。
臨終の間際につぶやいた一言だそうです。
「ゆたかな・・・」
胸が熱くなりました、ぐっときました。
ゆたかな、に続けて何を仰りたかったんでしょうか。
来場者一人ひとりが、きっと心に刻みつけて帰った「ゆたかな」。
とってもチャーミングな名畑さん。
彼女とも相談しもって、
高知でも延藤さんの記憶と記録を刻む何かをしたいなと思ってます。
延藤さん著作コーナー。
なんとその中に、冒頭で紹介した北九州市での仕事の記録が加わっていました!
(表紙デザインは専業主婦だった頃の私^^;)
偲ぶ会の後はもちろん懇親会。
100人を超える人々が偲びまくった夜なのでした。
あ、ついでにHappy Birthdayも祝ってもらったちゃっかり者です♥
5月12日は誕生日でした、
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一昨日、お誕生日席の隣の小林郁雄@神戸です。
印刷して延藤偲ぶ会パンフレットに挟んで、永久保存!!
コメントいただけて光栄です♥
偲ぶ会@高知を赤岡でやりたいと思うてますので、またご案内いたしますね!