美馬勇作(みま ゆうさく)
「古典芸能おたく」っぷりで親族の中でもオモロイ存在として異彩を放っておりました。
結婚して間もないころ、
まだ高校生やった彼とバッタリ中種(今のはりまや橋商店街)ですれ違った時のこと。
「あーら智子さん、どちらへ?」
どこの有閑マダムかとこっちがドギマギする独特の口調で呼び止められた。
あれから30数年。
勇作くん渾身のプロデュースで開かれた、
「ごふく美馬創業20周年の宴」
彼の「凄さ」を思い知らされる一夜でした。
その美意識、その人脈の広さと素晴らしさ、その造詣の深さ、
その貪欲なまでの美食っぷり、そのサービス精神、etc...
どれをとってもとびっきり「一流」ながですわ。
宴の素晴らしい食事についての記事→こちら
宴の豪華過ぎる余興の数々→こちら
については既に書き記しておりますが、
最後の記事は「ごふく美馬」専属カメラマンによって撮影されたお写真をお借りして、
ファイナルを飾りたいと思います。
最初の祝辞は尾ア高知県知事より贈られました。
高知において古典芸能を楽しむ機会を次々に企画する美馬への謝辞に続き、
「母がラーメン屋で遭遇した美馬少年」エピソードで会場爆笑!

続いては市川染五郎丈令夫人・藤間園子さん!

「このようなお席で祝辞を述べるのは慣れてなくて」と謙遜してらしたけど、
とってもチャーミングな遊び心が満載で笑いっぱなし!
新婚当時の勇作の厚かましいエピソードには涙がでるほど笑わせてもろうたけど、
でも、そんな逸話がいくつも生まれるほどの信頼関係が築かれてきたのだなぁと。
園子さん自身も和装に関しては全幅の信頼を寄せているようですが、
「これかこれ、が勇作さんにかかるとこれとこれになってしまう」
うんうん、立派に「被害者友の会」の会員です(笑)
乾杯のご挨拶に立たれた呉服問屋さん。

勇作がまだ高校生の頃から出入りしていた「京呉服三條」での逸話を披露。
逸品展の会場で店主の声色を真似る勇作の周りに人垣が生まれ、
あろうことか「奥様にはこれ!」とVIP客にすすめた品物が気に入ってもらえて、
高校生ながらにもポンと商売を成立させてしまったそうな。
和装離れが進む昨今、確かな目利きによって日本中にファンを増やし、
怒涛の勢いで一級品の反物を売りまくる「ごふく美馬」は、
呉服の問屋さんらの間でも一目置かれる存在になっているそうです。
あぁ、その影で被害者は拡大(笑)
数々の贅沢な余興も終わり、宴の中締め。
染五郎さんが「被害者を代表いたしまして」と挨拶に立たれましたw

翌日に控えた「伝統芸能の夕べ」特別公演では、
ご子息の金太郎くんと二人で連獅子を踊ることになっていました。
若干11歳とは思えぬ凛々しいお顔でお父様を見上げる金太郎くん。

お二人の記念すべき連獅子の初演を、ここ高知で。
これは染五郎さんから美馬に向けた最大級の「お祝い」なのではないでしょうか。
なんだかジーンと胸が熱くなる様なご挨拶、
最後は染五郎さんの音頭で一本締めという贅沢極まりないフィナーレ✨

和装で埋め尽くされた会場の華やかさはもちろんですが、
「お祝い」の気持ちがこじゃんと濃密に集結した空間にすっかり酔いしれて、
数日は熱に浮かされたようになっておりました^^;
こんな祝宴が開ける呉服屋が、高知の柳町にある。
すんごい誇りに感じます。
そして、そんな呉服屋に見立ててもらう喜びに打ち震える人が続出、
もはや「柳町症候群」という名の不治の病www
※「柳町症候群」とは、「ストックホルム症候群」(精神医学用語の一つで、誘拐事件や監禁事件などの犯罪被害者が、犯人と長時間過ごすことで、犯人に対して過度の同情や好意等を抱くことをいう)になぞらえて勇作が命名。被害者の会一同、納得(笑)
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