どうやら源平合戦に敗れて四国山脈に逃げ延びた、
いわゆる平家の落人の末裔。
それとどう関連するがかは知らんけんど実家のあるあたりは神道が多く、
神式の正月行事がいろいろとあるがです。
お鏡餅の飾り方も、
よく見る一般的なカタチとはちと違うちゅう。
アタシにとってみたら生まれたときから見ゆうき普通ながやけんどね。

高坏のお盆に米を盛り、じゃこと干し柿を添え、ダイダイにユズリハを差す。
葉っぱの数はうるう年は13枚、その他の年なら12枚と決まっちゅう。
家の裏の大木から、毎年ええ具合に葉を広げちゅうがを
父が見極めて切ってくるがです。
一日の朝には神様に正月雑煮をお供えします。
人参・切りコンブ・コンニャク・干し大根が細かく刻まれたものに、
暮れについたお餅が入っちゅう。

これを奥の座敷の『お正月様』『ご先祖様』『高神様』、


居間にある『恵比寿様』、外の『先祖八幡』にそれぞれ供えるがです。
二日目には炊き初めのご飯と餅を、
三日目にはウルメ・酒・などを、
七日には七草がゆを供え、
15日にようやく門松おろしと続きます。
偉そうに書きゆうけんど、アタシがやりゆうわけじゃない、
両親が毎年きちきちやりゆうことながです。
文化を伝えるのってホントに大変なことやとつくづく思う。
父と母の代で途切れさせたらいかんと思うけんど、
正直なところ「自分に同じ事ができるろうか」って腰が引けもする。
とにかく。
今はこうして『コトの記録』をちゃんと残しよらないかんって思うわけで。
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